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社会科見学レポート 〜株式会社一福本店〜  

 

株式会社一福本店 (登録商標「まるそう一福」 )

本店 草創庵博物館:埼玉県草加市青柳2−16−18 
TEL 048−936−6301
URL http://www.sokasenbei.co.jp/
草加店 日光街道草加旭町1−4−45
048−936−6332
松原店 松原団地駅東口駅通り
048−931−5057
東草加店 流山街道福祉センター際 
048−936−1280
草創庵博物館
社長の高橋恒夫さん  
食育の社会科見学 「堅焼き草加せんべいの手焼き体験」  

 社長の高橋恒夫さんに、丸草一福の草加せんべいができるまでの製造工程を案内していただきました。
 せんべいの原料になるお米は、ごはんとして食べられているのと同じ「うるち米」です。せんべいの代名詞にもなっている「草加せんべい」のパリッとした食感と食味を守るために、埼玉県の「拍手活彩米」というブランドの一等米を原料として使っています。米の品種は「日本晴」や「アキニシキ」です。

地元のお米へのこだわりを守るため、翌年の収穫分に買い付け予約を入れています。そして、他の種類のお米が混ざったりしないように精米していない「玄米」の状態で仕入れています。原料コストはどうしても高くついてしまいますが、ごはんとして食べる「うるち米」はおいしさを求めてモチ米系に近づいていく傾向があり、その特徴である「粘り」や「やわらかさ」が強くなりすぎると「堅焼きせんべい」には向かなくなります。ですから、どんな「うるち米」でもいいというわけにはいかないと考えているのです。

せんべいはお米のうまみがそのままわかるものなので、ごまかしがききません。そして、むかしながらの草加せんべいの味とパリッとした食感を出すためには、生地に含まれる水分と火加減のバランスが大切です。生地に含まれる水分が熱で温められてふくらむとともに表面にはうっすらと焼き色がつくようにしなければならないからです。上手にふくらませて焼くことのむずかしさは「せんべいの手焼き体験教室」で実習することができます。


こだわりのお米「拍手活彩米」
せんべいに最適のこだわりのお米です。
埼玉米 「拍手活彩米」

ゆっくりとおいしさが凝縮されていきます手焼きの工程を自動化しました。
 
「堅焼き草加せんべいができるまで」

@
玄米を精米機にかける。
A
精米をよく水とぎする。
B
製粉機でお米を粉にひく。
C
蒸練機でよく蒸しあげる。
D
きれいな水で何回も冷やしてアク抜きをする。
すっきりした味に仕上げるためには、このアク抜き、冷やしの微妙な加減が大切。
E
冷やされた餅(しんこ)をもちつき機でよくつく。
F
のし機にかけて平らに伸ばした生地を丸く型ぬきする。
G
蒸気乾燥機で8時間以上ゆっくり時間をかけて乾燥する。(生地のできあがり)
H
ホイロという機械で4〜5時間暖めて、生地の水分を一定にする。
歯ごたえのある、しまりのよいせんべいに焼き上げるには、生地に残る水分の加減が大切。
I
焼き作業に入る。
J
焼きの工程はオートメーション化されているが、昔ながらの「押しては返し、返しては押す」手焼きと同じ方法でていねいに焼き上げる。
K
熱いうちにハケで一枚一枚にしょうゆを塗る。
L
機械で袋がけし、手作業で箱詰めする。


「せんべい手焼き体験」


むかしながらの手焼きせんべいの作り方を体験学習できます。
コース 工場見学、ビデオ鑑賞(20分)とせんべい手焼き体験(ほぼ1時間)
せんべいの手焼き体験は1人5枚。
体験受付人数 5名〜50名くらいまで(要予約)
体験料金 ひとり1,050円(消費税込み)
美術館は別途、入館料500円が必要。(団体割引あり)
見学可能日 月曜日〜土曜日 10時〜15時
見学の申込み 1週間前までに電話で予約。
その他 工場は日曜日、祝日は稼動していないので見学はできない。
売店は日曜日、祝日も営業。
せんべい手焼き体験

せんべいのふるさと「草加」
草加せんべいの歴史

「草加」といえば「せんべい」「せんべい」といえば草加といわれるほどに、全国的に有名な草加市は、面積27.45平方キロメートル、人口20万人。草加市は、埼玉県の南東部に位置し、都心からわずか15キロメートル圏という場所にあります。中川の低地で、昔は水田地帯でした。

古くから草加地方は、「米どころ」といわれ、水田稲作が盛んでした。農家のおやつとして食べられていた「塩せんべい」が草加せんべいのルーツだったのです。

草加でせんべいがいつ頃から作られるようになったのか、詳しいことはわかっていませんが、草加市青柳の藤波家に所蔵されている寛政8年(1796)の『万祝儀覚帳』に記載されている記述が、草加市内に残るせんべい記録の最も古い資料と言われています。

草加せんべいの起源については、いくつかの言い伝えが残されています。その代表的なものがあります。今から300年ほど前、草加が日光街道・奥州街道の宿場町として栄えている頃、旅人相手の茶屋が街道に数多く軒を構えていました。その茶店のひとつに、おせんというお婆さんの団子屋がありました。その団子がたいそうおいしく、往来の人々に好評でした。それでも、日によっては団子が売れ残ることがあって、余った団子は裏の綾瀬川に捨てていました。

ある日、武者修行の侍がその様子を見て、「売れ残った団子を捨てるのはもったいない。その団子を薄く延ばして、天日で乾かし、焼き餅として売ってはどうか」と教えてくれました。おせん婆さんは教えられたとおりに焼き餅にして売り出したところ、旅人の間で評判になり、草加宿の名物としてもてはやされ、「おせんばあさんが焼くもち」ということで「おせん餅」(おせんべい)と呼ばれるようになったとか。

草加せんべい作りは、農業の副業(農間余業)でしたが、明治から大正時代にかけて地場産業として急速に発展しました。明治3年(1871)の草加宿の様子を表した『草加宿絵図』には1軒の塩煎餅屋が、明治35年(1902)の『埼玉県営業便覧』では4軒の塩煎餅屋の記載があります。「塩煎餅小売営業願」を願い出て商いをする者も増え、草加名物としてかなり知られるようになってきました。

草加の塩せんべいをさらに有名にしたのが、大正2年に埼玉県川越市で行われた特別大演習の際に天皇陛下に供せられたことです。また、大正9年のお買い上げや宮内庁によるせんべい製造方法の視察なども「草加せんべい」の名声を広く知らしめることになりました。一口噛むとぱりっと香ばしい味が広がる「塩せんべい」が、草加名物の「草加せんべい」として全国に知られるようになったのです。

また、このころから、せんべいの生地作りを専門にする事業者が現れました。大正11年の『草加町見聞史』には、25人に増えたせんべい生産者と消費する米の石高が記載されていて、せんべい生産が増加していることをうかがわせます。
昔使用されたミノ
 
戦後の草加せんべいの復興は、ヤミせんべいの製造販売から始まりました。 昭和7年には、当時の草加町と谷塚村の煎餅商88人で「草加煎餅商組合」が結成され、製品の規格統一や品質の向上、販路の拡大を図りました。組合設立には世界恐慌の影響をかわす狙いもあったと考えられえいますが、組合員の統制と商標の登録などにより、草加せんべいのブランドの確立と品質保証が行われ、飛躍的に伸びるきっかけとなりました。しかし、太平洋戦争の激化とともにせんべいの生産は落ち込み、組合は解散、暗い時代を迎えることになったのです。

戦後の草加せんべいの復興は、ヤミせんべいの製造販売から始まりました。昭和34年には、草加せんべいの生地生産者が中心となって、草加煎餅商工組合という任意団体が結成され、資材の共同購入などの活動を始めました。昭和42年には、草加煎餅協同組合として許可され、原材料・燃料の共同購入、宣伝広告などを開始したのです。当時21社だった組合員数は現在、67社となっています。

おせんべいQ&A (参考:草加市史調査報告書、風林堂HP )

Q
せんべいには色々な種類がありますが・・
A
本来の「せんべい」は和菓子の分類で、干菓子の中の焼き菓子の一種をさします。小麦粉またはウルチ粉を主原料として型に入れて焼くか、型に抜いてから薄く焼いたものの総称です。古く平安時代から伝わり、小麦粉を主原料とするものが唐菓子以来の系統を引き継ぐものです。通常関西では、主に小麦粉を主体の甘味のある薄い板状のものをさし、関東ではそれに米菓に分類される「塩せんべい」を含めることが多いようです。

Q
米菓、あられ、おかき、塩せんべいの使い分けを教えて。
A
「米菓」は米を主原料に、焼くか揚げたものに塩分で味付けしたお菓子を総称した呼び方です。うるち米を使った「せんべい」「塩せんべい」、もち米で作ったものを関東では「あられ」関西では「かき餅」と呼ぶことが多いようです。現在、呼称についてはあまり厳密ではなく、その使い分けはあいまいになっているようです。